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2025 12.10(WED)

新潟での演奏

 

「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」

 

の世界に行きました。

 

金曜~月曜まで、新潟・東京にいました。

 

初日は大分から東京まで飛行機、そして新幹線で新潟へ向かいました。

東京は快晴で暖かい日でした。

 

都会の商業施設の飾りつけは見ていて楽しいです^^

 

 

そして東京に数時間滞在した後に

新幹線で新潟県へ。

暫くウトウトして、ふと窓を見ると外は雪・・・⛄

 

初日宿泊の新潟県越後湯沢に着いたら

最初の写真のような雪景色でした。

 

そもそも、川端康成の「雪国」の主な舞台は

この湯沢温泉と言われているので

まさに小説の雰囲気の通りでした。

 

駅に降り立つと、午後15時くらいにもかかわらず

ほとんど人がおらず、駅内も極寒。

 

駅の外に出ようとしたら、自動ドアでなく手動ドアに

「熊出没により、必ずドアを閉めてください」の張り紙がありました。

 

宿泊先の入り口にも熊注意の張り紙。

町内の壁などにも、熊注意のポスター。

 

幸いにも、私が熊を見たのは

「湯沢町歴史民俗資料館雪国館」の中のはく製だけでした。

雪国館の壁にも、熊注意のポスターがありました。

 

湯沢は新潟県内でも豪雪地域で、一晩で30㎝積もりました。

 

そして翌朝に新潟市へ向かいましたら

市内は全く雪がありませんでした。

 

今回の新潟訪問の目的は史佳Fumiyoshiさんのお別れ会でした。

「華弦」という津軽三味線デュオを組んでいた相方がなくなりました。

 

竹山流の奏者で、8年前に京都の大学の総会演奏で出会い、

新潟のりゅーとぴあ、名古屋の宗次ホール、別府など

各地で演奏をご一緒させて頂きました。

私にとって、頼りになるお兄さんという存在でした。

 

私より一まわりお兄さんでした。

まだまだ早すぎます…。

今年は3度目のカーネギーホールでの公演、大阪万博など

演奏もたくさん控えていたのに、どんなに舞台に戻りたかったか、と思うと

涙が止まりませんでした。

 

ご遺族からのご依頼で、お別れの会で演奏させて頂くことになりました。

いつもコンサートで必ず演奏されていたという

「津軽三下り」と「津軽じょんから節」のメドレーを演奏させて頂きました。

 

約500人の参列者の方々、私が写真で見ると豆粒のようです。

 

 

沢山の方に慕われ、応援されていた史佳さんらしい温かい会でした。

 

 

新潟竹山会の皆様。

 

他にも親交のあった方々の演奏、お弟子さんの演奏等。

 

お別れの会の後は食事会も参加させて頂きました。

同席した夫は泣きすぎて(私より泣いていた)

普段飲まないアルコール(日本酒)を飲んだら

顔が真っ赤になり、脈が180にあると言い出し

どうなることかと思いましたが、ホテルに戻るころには落ち着き

無事に戻りました。

 

心からご冥福をお祈りいたします。

 

※私が帰りに乗った上越新幹線、数時間後に人身事故で止まりました。

そして別府に帰宅した日の夜に東北で地震発生。

いつ何があるかわからない、今を一生懸命に過ごそうと思った新潟での4日間でした。

 

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