新潟での演奏

「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」
の世界に行きました。
金曜~月曜まで、新潟・東京にいました。
初日は大分から東京まで飛行機、そして新幹線で新潟へ向かいました。
東京は快晴で暖かい日でした。
都会の商業施設の飾りつけは見ていて楽しいです^^

そして東京に数時間滞在した後に
新幹線で新潟県へ。
暫くウトウトして、ふと窓を見ると外は雪・・・⛄
初日宿泊の新潟県越後湯沢に着いたら
最初の写真のような雪景色でした。
そもそも、川端康成の「雪国」の主な舞台は
この湯沢温泉と言われているので
まさに小説の雰囲気の通りでした。
駅に降り立つと、午後15時くらいにもかかわらず
ほとんど人がおらず、駅内も極寒。
駅の外に出ようとしたら、自動ドアでなく手動ドアに
「熊出没により、必ずドアを閉めてください」の張り紙がありました。
宿泊先の入り口にも熊注意の張り紙。
町内の壁などにも、熊注意のポスター。
幸いにも、私が熊を見たのは
「湯沢町歴史民俗資料館雪国館」の中のはく製だけでした。
雪国館の壁にも、熊注意のポスターがありました。
湯沢は新潟県内でも豪雪地域で、一晩で30㎝積もりました。
そして翌朝に新潟市へ向かいましたら
市内は全く雪がありませんでした。
今回の新潟訪問の目的は史佳Fumiyoshiさんのお別れ会でした。
「華弦」という津軽三味線デュオを組んでいた相方がなくなりました。
竹山流の奏者で、8年前に京都の大学の総会演奏で出会い、
新潟のりゅーとぴあ、名古屋の宗次ホール、別府など
各地で演奏をご一緒させて頂きました。
私にとって、頼りになるお兄さんという存在でした。
私より一まわりお兄さんでした。
まだまだ早すぎます…。
今年は3度目のカーネギーホールでの公演、大阪万博など
演奏もたくさん控えていたのに、どんなに舞台に戻りたかったか、と思うと
涙が止まりませんでした。
ご遺族からのご依頼で、お別れの会で演奏させて頂くことになりました。
いつもコンサートで必ず演奏されていたという
「津軽三下り」と「津軽じょんから節」のメドレーを演奏させて頂きました。
約500人の参列者の方々、私が写真で見ると豆粒のようです。

沢山の方に慕われ、応援されていた史佳さんらしい温かい会でした。

新潟竹山会の皆様。

他にも親交のあった方々の演奏、お弟子さんの演奏等。
お別れの会の後は食事会も参加させて頂きました。
同席した夫は泣きすぎて(私より泣いていた)
普段飲まないアルコール(日本酒)を飲んだら
顔が真っ赤になり、脈が180にあると言い出し
どうなることかと思いましたが、ホテルに戻るころには落ち着き
無事に戻りました。
心からご冥福をお祈りいたします。
※私が帰りに乗った上越新幹線、数時間後に人身事故で止まりました。
そして別府に帰宅した日の夜に東北で地震発生。
いつ何があるかわからない、今を一生懸命に過ごそうと思った新潟での4日間でした。